おおたかの森

大たかの森取り組みについて思うこと

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幼児期は、日々の生活のなかで、様々な体験をし、人生に必要な知恵や知識を身に付けていきます。
優しい人や友達との出逢い、美しいもの、分からないものや好奇心の中で、心が動き、感動します。
この体で素直に感じた感動が幼児期に育つであろう豊かな感性や情緒として育くまれ、豊かな人間として成長していくと言われています。

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みどり幼稚園の創設期、3歳児を連れ、双眼鏡と図鑑を持ち、ふらり入間川へ散策に出かけ、水鳥や水辺に棲む魚や小さな生き物に感動した子ども達の姿を思い出しました。
赤坂の森(通称:大たかの森)とも言いますが、この計画を実施するに当たり、いくつかの考えがありました。
1つは、戦後まもない昭和22年(又は23年)に、幼稚園教育要領が制定され、時代の大きな変化の中で、平成元年、教育ルネッサンスと言われる程、この要領が大きく改正されました。
その後、平成10年に一部改定され、この時、小・中などで「心の教育」の重要性が現場に求められた事、
2つは、この心の教育は、自然の中で体験と労作に基づくこと。

3つは、短い一つ一つの行事や生活ではなく、幼稚園の3年間を通し、一貫して行う事。
4つは、21世紀は環境の世紀で宇宙規模で世界が取り組む人類共通の課題である事。
5つは、狭山・入間・三芳・川越には古玉川に沿い、武蔵野の雑木林の樹林帯が続き、特にくぬぎ山(大たかの森)は産廃銀座(不名誉)と言われるゴミと産廃処理場の工場から有毒なダイオキシンが発生、社会的に大きな問題となっていた。
6つは、このくぬぎ山に、昔ながらの自然を再生させ、この豊かな自然を子ども達に残そうと地道な活動を続ける足立さんや、その仲間達に感銘を受けた事。
これは、大人ではなく幼児期からこの活動に参加する事、活動を通して一人でもこの地域の宝であるくぬぎ山に理解ある人間として成長して欲しいという願いがありました。

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これらの事をふまえ、実施に当っては市の担当課、足立さんなどと連絡を取り、特に幼児という特殊性を考慮、ダイオキシンの人体への影響を調べ、保護者にもご理解を得て実施に踏み切りました。
3年間の活動では、幼種園や小・中学校では体験できない貴重な経験をしたと確信します。
活動内容は、園だより、まとめの小冊子などてご理解頂けると存じますが、四季を通し森の中で、小鳥や虫、木の葉をかき分け虫めがねでのぞいた事、カマ・ノコギリ・クマデ・山の立木を切った事、落葉を集め、サイコロコロガシを作った事、足立さんをはじめ、沢山のこの活動に取組む人達との出逢いは、子どもの心に、体に、いつまでも忘れる事の出来ない宝物であると思います。

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私も、小学校の低学年の時、おじいさんと山の畑(東急団地付近)へ麦踏みに行き、夕日の山にタバコをふかすおじいさんと色々な話をしていると、野うさぎが麦畑を横切った事、親戚(上赤坂)の山へ、くずはきに行った事、毛布にくるまり馬車に父と乗り、はちほんばさみ(楕円形の大きな竹かご)の中に木の葉を集めた事などを思い出し、懐懐かしくもなりました。
終りに、卒園後もこの活動にご理解、ご協力を頂ければと思っております。
近頃は、お天気屋、昔は風見鶏と言われておりましたが、この活動は新年度からも迷うことなく取り組んでいきます。

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“ 地球は青かった ” この言葉はソビエトが世界で初めて人工衛星を打ち上げた時、宇宙飛行士(ガガーリンであると思います)が帰還後の地球を誉めたたえた言葉です。
ライカ犬をのせて飛んだ数年後の事です。
昭和33年(1年位違うかもしれない)ソ連が初めて衛星を打ち上げた事を理科の授業中、先生が大ニュースとして教えてくれました。
その後数年で「ライカ犬」をのせた衛星を打ち上げました。
この頃は緑と豊かな海、オゾン層の破壊のない美しい宇宙であったと思います。
田島昭雄

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